死に様データベース
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《誅殺》 《1455年》 《11月》 《21日》 《享年不明》
加賀守護富樫氏の家臣。
加賀守護代。
同族間の争いが絶えない加賀守護富樫氏にあって、
本折越前守は、一方の当主成春を支える実力者であった。
越前守は、
宝徳2年(1450)8月、対立する弟主計允を謀殺し、
享徳4年(1455)4月には、同僚槻橋・矢橋氏を殺害する。
背景にどういった経緯があったか不明だが、
不安定な富樫家にあって、
目的のためならば、手段を選ばぬ男であった。
京都政界においても、ある程度の力を持っていたらしく、
享徳3年(1454)頃からの、
畠山氏の家督をめぐる義就・弥三郎の争乱では、
他家の人間でありながら、義就に味方し、
大和・河内を転戦して活躍した。
越前守は「無双の勇士」であったが、
大和で多くの寺院や仏像を焼いた、「悪人」でもあった。
康正元年(1455)11月20日、
河内より帰洛。
翌21日、
主人富樫成春の屋敷において、
成春自らの手によって誅殺された。
粛清の鬼は、自らも主人の手で粛清されたのである。
〔参考〕
『加能史料 室町Ⅳ』 (石川県 2007)
加賀守護富樫氏の家臣。
加賀守護代。
同族間の争いが絶えない加賀守護富樫氏にあって、
本折越前守は、一方の当主成春を支える実力者であった。
越前守は、
宝徳2年(1450)8月、対立する弟主計允を謀殺し、
享徳4年(1455)4月には、同僚槻橋・矢橋氏を殺害する。
背景にどういった経緯があったか不明だが、
不安定な富樫家にあって、
目的のためならば、手段を選ばぬ男であった。
京都政界においても、ある程度の力を持っていたらしく、
享徳3年(1454)頃からの、
畠山氏の家督をめぐる義就・弥三郎の争乱では、
他家の人間でありながら、義就に味方し、
大和・河内を転戦して活躍した。
越前守は「無双の勇士」であったが、
大和で多くの寺院や仏像を焼いた、「悪人」でもあった。
康正元年(1455)11月20日、
河内より帰洛。
翌21日、
主人富樫成春の屋敷において、
成春自らの手によって誅殺された。
粛清の鬼は、自らも主人の手で粛清されたのである。
〔参考〕
『加能史料 室町Ⅳ』 (石川県 2007)
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《誅殺》 《1450年》 《8月》 《13日》 《享年不明》
加賀守護富樫氏の家臣。
本折主計允は、 兄で加賀守護代であった本折越前守と対立、
義絶していた。
そのため、主人富樫氏のもとを離れ、
数年間、流浪の生活を送っていたが、
宝徳2年(1450)頃、
細川氏の家臣鵜高氏の食客となり、
甘露寺親長の屋敷に、隠れ住んでいた。
宝徳2年(1450)8月13日、
その住まいで、どうやら女と寝ていたところ、
兄越前守の手の賊に踏み込まれ、
首を斬られたらしい。
ぶっそうきわまりない。
兄の本折越前守は、
享徳4年(1455)4月には、傍輩の槻橋・矢橋氏らも、
自宅において手にかけている。
これには、将軍足利義政の命があったらしいが、
とんだ仕掛人である。
〔参考〕
『加能史料 室町Ⅲ』 (石川県 2005)
加賀守護富樫氏の家臣。
本折主計允は、 兄で加賀守護代であった本折越前守と対立、
義絶していた。
そのため、主人富樫氏のもとを離れ、
数年間、流浪の生活を送っていたが、
宝徳2年(1450)頃、
細川氏の家臣鵜高氏の食客となり、
甘露寺親長の屋敷に、隠れ住んでいた。
宝徳2年(1450)8月13日、
その住まいで、どうやら女と寝ていたところ、
兄越前守の手の賊に踏み込まれ、
首を斬られたらしい。
ぶっそうきわまりない。
兄の本折越前守は、
享徳4年(1455)4月には、傍輩の槻橋・矢橋氏らも、
自宅において手にかけている。
これには、将軍足利義政の命があったらしいが、
とんだ仕掛人である。
〔参考〕
『加能史料 室町Ⅲ』 (石川県 2005)
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人名索引
死因
病死
:病気やその他体調の変化による死去。
戦死
:戦場での戦闘による落命。
誅殺
:処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害
:切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死
:事故・災害等による不慮の死。
不詳
:謎の死。
:病気やその他体調の変化による死去。
戦死
:戦場での戦闘による落命。
誅殺
:処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害
:切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死
:事故・災害等による不慮の死。
不詳
:謎の死。
没年 1350~1399
1350 | ||
1351 | 1352 | 1353 |
1355 | ||
1357 | ||
1363 | ||
1364 | 1365 | 1366 |
1367 | 1368 | |
1370 | ||
1371 | 1372 | |
1374 | ||
1378 | 1379 | |
1380 | ||
1381 | 1382 | 1383 |
没年 1400~1429
1400 | ||
1402 | 1403 | |
1405 | ||
1408 | ||
1412 | ||
1414 | 1415 | 1416 |
1417 | 1418 | 1419 |
1420 | ||
1421 | 1422 | 1423 |
1424 | 1425 | 1426 |
1427 | 1428 | 1429 |
没年 1430~1459
1430 | ||
1431 | 1432 | 1433 |
1434 | 1435 | 1436 |
1437 | 1439 | |
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1454 | 1455 | |
1459 |
没年 1460~1499
没日
1日 | 2日 | 3日 |
4日 | 5日 | 6日 |
7日 | 8日 | 9日 |
10日 | 11日 | 12日 |
13日 | 14日 | 15日 |
16日 | 17日 | 18日 |
19日 | 20日 | 21日 |
22日 | 23日 | 24日 |
25日 | 26日 | 27日 |
28日 | 29日 | 30日 |
某日 |
享年 ~40代
9歳 | ||
10歳 | ||
11歳 | ||
15歳 | ||
18歳 | 19歳 | |
20歳 | ||
22歳 | ||
24歳 | 25歳 | 26歳 |
27歳 | 28歳 | 29歳 |
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31歳 | 32歳 | 33歳 |
34歳 | 35歳 | |
37歳 | 38歳 | 39歳 |
40歳 | ||
41歳 | 42歳 | 43歳 |
44歳 | 45歳 | 46歳 |
47歳 | 48歳 | 49歳 |
本サイトについて
本サイトは、日本中世史を専攻する東専房が、余暇として史料めくりの副産物を蓄積しているものです。
当初一般向けを意識していたため、参考文献欄に厳密さを書く部分がありますが、適宜修正中です。
内容に関するお問い合わせは、東専房宛もしくはコメントにお願いします。
当初一般向けを意識していたため、参考文献欄に厳密さを書く部分がありますが、適宜修正中です。
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