死に様データベース
《事故死》 《1221年》 《9月》 《12日》 《享年不明》
承久3年(1221)9月12日、
後鳥羽上皇の承久の乱が鎮圧された直後の畿内を、暴風雨が襲った。
石清水八幡宮(現・京都府八幡市)では、
麓の橋のひとつが流されたほか、
厩に浸水して、馬を避難させるなどの被害が出た。
摂津国の住吉社(現・大阪市住吉区)でも、
宿院の左方の廻廊15間すべてが倒壊した。
これに、宿院の中にいた数人が巻き込まれ、命を落とした。
どのような人々だったかは明らかでない。
住吉社は、奇しくもその翌13日に、恒例神事の相撲会を控えていたが、
祭場に死穢が及んで神事が予定どおり行えないとして、
朝廷に報告した。
これを受けて朝廷は、
10月5日に軒廊御卜という占いを行って、
10日、死穢による神事の中止を神前に上申することと、
天下のために祈禱することを、住吉社に命じ、
18日、神祇官の役人を派遣して、現場を祓い清めさせた。
神事と死穢の話ばかりで、
犠牲者のその後は伝わらない。
〔参考〕
『壬生新写古文書』(宮内省図書寮、1930年)
承久3年(1221)9月12日、
後鳥羽上皇の承久の乱が鎮圧された直後の畿内を、暴風雨が襲った。
石清水八幡宮(現・京都府八幡市)では、
麓の橋のひとつが流されたほか、
厩に浸水して、馬を避難させるなどの被害が出た。
摂津国の住吉社(現・大阪市住吉区)でも、
宿院の左方の廻廊15間すべてが倒壊した。
これに、宿院の中にいた数人が巻き込まれ、命を落とした。
どのような人々だったかは明らかでない。
住吉社は、奇しくもその翌13日に、恒例神事の相撲会を控えていたが、
祭場に死穢が及んで神事が予定どおり行えないとして、
朝廷に報告した。
これを受けて朝廷は、
10月5日に軒廊御卜という占いを行って、
10日、死穢による神事の中止を神前に上申することと、
天下のために祈禱することを、住吉社に命じ、
18日、神祇官の役人を派遣して、現場を祓い清めさせた。
神事と死穢の話ばかりで、
犠牲者のその後は伝わらない。
〔参考〕
『壬生新写古文書』(宮内省図書寮、1930年)
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《病死》 《1097年》 《閏正月》 《18日》 《享年63歳》
中宮亮高階公俊の妻。
永長2年(1097)閏正月16日朝、
中宮亮高階公俊が卒去した。
64歳であった。
その2日前に出家していたというから、
すでに病床にあったのだろう。
その2日後の閏正月18日、
公俊の妻も卒した。
63歳であった。
夫のあとを追うような死に方は、
「頗る奇怪か」(『中右記』)
といわれた。
この妻は、日ごろから観音菩薩を篤く信仰し、
臨終の際にも、その名号を念じていた。
絶命の直後、部屋には薫香が満ちたという。
信心から現れた「瑞相」とされた(『中右記』)。
〔参考〕
『大日本古記録 中右記 3』(岩波書店、1999年)
中宮亮高階公俊の妻。
永長2年(1097)閏正月16日朝、
中宮亮高階公俊が卒去した。
64歳であった。
その2日前に出家していたというから、
すでに病床にあったのだろう。
その2日後の閏正月18日、
公俊の妻も卒した。
63歳であった。
夫のあとを追うような死に方は、
「頗る奇怪か」(『中右記』)
といわれた。
この妻は、日ごろから観音菩薩を篤く信仰し、
臨終の際にも、その名号を念じていた。
絶命の直後、部屋には薫香が満ちたという。
信心から現れた「瑞相」とされた(『中右記』)。
〔参考〕
『大日本古記録 中右記 3』(岩波書店、1999年)
《事故死》 《1151年》 《12月》 《26日》 《享年不明》
仁平元年(1151)12月26日、
京都西京の六条辺りで、
「豺狼」が「下女一人」を「喫殺」したという(『本朝世紀』)。
「豺狼」は、やまいぬやオオカミの類のこと。
「喫」は「くらう」と訓ず。
冬場に餌を求めて人里に下りたものか。
獣害はいつの時代も人身を脅かす。
〔参考〕
『新訂増補国史大系 本朝世紀』(吉川弘文館、1933年)
仁平元年(1151)12月26日、
京都西京の六条辺りで、
「豺狼」が「下女一人」を「喫殺」したという(『本朝世紀』)。
「豺狼」は、やまいぬやオオカミの類のこと。
「喫」は「くらう」と訓ず。
冬場に餌を求めて人里に下りたものか。
獣害はいつの時代も人身を脅かす。
〔参考〕
『新訂増補国史大系 本朝世紀』(吉川弘文館、1933年)
《事故死》 《1477年》 《3月》 《29日》 《享年不明》
畠山式部大輔家の下女。
文明9年(1477)3月29日、京都の畠山式部大輔の宿所において、
下女が井戸へ「堕落死」した(『実隆公記』)。
井戸は転落事故も起こるが、中世にもしばしば身投げに使われた。
この下女の死が、身投げだったか事故だったかは不明だが、
ここではひとまず事故死に分類した。
これにより、畠山式部大輔の宿所は触穢となり、
室町幕府は「乙穢」、禁裏は「丙穢」となった。
「乙穢」とは、二次的な触穢、
「丙穢」とは、三次的な触穢のことをいう。
穢れの話ばかりで、下女の身の上についてはなにも伝わらない。
〔参考〕
『実隆公記 巻1』(大洋社、1931年) ―該当記事(国立国会図書館デジタルコレクション)
畠山式部大輔家の下女。
文明9年(1477)3月29日、京都の畠山式部大輔の宿所において、
下女が井戸へ「堕落死」した(『実隆公記』)。
井戸は転落事故も起こるが、中世にもしばしば身投げに使われた。
この下女の死が、身投げだったか事故だったかは不明だが、
ここではひとまず事故死に分類した。
これにより、畠山式部大輔の宿所は触穢となり、
室町幕府は「乙穢」、禁裏は「丙穢」となった。
「乙穢」とは、二次的な触穢、
「丙穢」とは、三次的な触穢のことをいう。
穢れの話ばかりで、下女の身の上についてはなにも伝わらない。
〔参考〕
『実隆公記 巻1』(大洋社、1931年) ―該当記事(国立国会図書館デジタルコレクション)
《誅殺》 《1479年》 《5月》 《5日》 《享年不明》
*****ドメスティック・バイオレンスに関する記事です。閲覧にご注意ください。*****
応仁・文明の乱の余燼がまだ消えやらぬ文明11年(1479)のころ、
京都四条西洞院の北西の角に、とある「在家」の一家が住んでいた。
「在家」とは、ここでは庶民(の家)といったほどの意味であろう。
夫婦には幼い子もあったが、
夫はなんと、「妾」も同居させていたらしい。
5月5日、
妻は「妾」のことで、夫を激しく責め立てた。
「妾」を妬んでのことであったというが、
日ごろより思うところがあり、それが募ったすえであろう。
しかし、夫は逆上したのか、妻を殺害。
さらに、幼子にも手をかけた。
「希代の所行」(「晴富宿禰記」)。
騒ぎを聞きつけた人々が、所司代に通報しようとしたところ、
夫は逐電。
「妾」の顚末も知れない。
女性の主張は、“嫉妬”とかたづけられ、
身内への暴力は、いともたやすく激化する。
およそ「耐えられるDV」などというものは、この世に存在しない。
〔参考〕
『図書寮叢刊 晴富宿禰記』(宮内庁書陵部、1971年)
*****ドメスティック・バイオレンスに関する記事です。閲覧にご注意ください。*****
応仁・文明の乱の余燼がまだ消えやらぬ文明11年(1479)のころ、
京都四条西洞院の北西の角に、とある「在家」の一家が住んでいた。
「在家」とは、ここでは庶民(の家)といったほどの意味であろう。
夫婦には幼い子もあったが、
夫はなんと、「妾」も同居させていたらしい。
5月5日、
妻は「妾」のことで、夫を激しく責め立てた。
「妾」を妬んでのことであったというが、
日ごろより思うところがあり、それが募ったすえであろう。
しかし、夫は逆上したのか、妻を殺害。
さらに、幼子にも手をかけた。
「希代の所行」(「晴富宿禰記」)。
騒ぎを聞きつけた人々が、所司代に通報しようとしたところ、
夫は逐電。
「妾」の顚末も知れない。
女性の主張は、“嫉妬”とかたづけられ、
身内への暴力は、いともたやすく激化する。
およそ「耐えられるDV」などというものは、この世に存在しない。
〔参考〕
『図書寮叢刊 晴富宿禰記』(宮内庁書陵部、1971年)
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人名索引
死因
病死
:病気やその他体調の変化による死去。
戦死
:戦場での戦闘による落命。
誅殺
:処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害
:切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死
:事故・災害等による不慮の死。
不詳
:謎の死。
:病気やその他体調の変化による死去。
戦死
:戦場での戦闘による落命。
誅殺
:処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害
:切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死
:事故・災害等による不慮の死。
不詳
:謎の死。
没年 ~1299
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| 1095 | 1096 | |
| 1097 | ||
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| 1105 | ||
| 1138 | ||
| 1150 | ||
| 1151 | ||
| 1177 | 1178 | |
| 1186 | ||
| 1188 | ||
| 1200 | ||
| 1202 | ||
| 1207 | ||
| 1212 | 1213 | |
| 1221 | ||
| 1225 | ||
| 1227 | ||
| 1230 | ||
| 1234 | ||
| 1242 | ||
| 1245 | ||
| 1250 | ||
| 1257 |
没年 1350~1399
| 1350 | ||
| 1351 | 1352 | 1353 |
| 1355 | ||
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| 1367 | 1368 | |
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| 1371 | 1372 | |
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| 1378 | 1379 | |
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| 1381 | 1382 | 1383 |
没年 1400~1429
| 1400 | ||
| 1402 | 1403 | |
| 1405 | ||
| 1408 | ||
| 1412 | ||
| 1414 | 1415 | 1416 |
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| 1421 | 1422 | 1423 |
| 1424 | 1425 | 1426 |
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没年 1430~1459
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| 1431 | 1432 | 1433 |
| 1434 | 1435 | 1436 |
| 1437 | 1439 | |
| 1441 | 1443 | |
| 1444 | 1446 | |
| 1447 | 1448 | 1449 |
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| 1453 | ||
| 1454 | 1455 | |
| 1459 |
没年 1460~1499
没日
| 1日 | 2日 | 3日 |
| 4日 | 5日 | 6日 |
| 7日 | 8日 | 9日 |
| 10日 | 11日 | 12日 |
| 13日 | 14日 | 15日 |
| 16日 | 17日 | 18日 |
| 19日 | 20日 | 21日 |
| 22日 | 23日 | 24日 |
| 25日 | 26日 | 27日 |
| 28日 | 29日 | 30日 |
| 某日 |
享年 ~30代
| ~9歳 | ||
| 6歳 | ||
| 9歳 | ||
| 10代 | 10歳 | |
| 11歳 | ||
| 15歳 | ||
| 18歳 | 19歳 | |
| 20代 | 20歳 | |
| 21歳 | 22歳 | |
| 24歳 | 25歳 | 26歳 |
| 27歳 | 28歳 | 29歳 |
| 30代 | 30歳 | |
| 31歳 | 32歳 | 33歳 |
| 34歳 | 35歳 | |
| 37歳 | 38歳 | 39歳 |
享年 40代~60代
| 40代 | 40歳 | |
| 41歳 | 42歳 | 43歳 |
| 44歳 | 45歳 | 46歳 |
| 47歳 | 48歳 | 49歳 |
| 50代 | 50歳 | |
| 52歳 | 53歳 | |
| 55歳 | ||
| 57歳 | 58歳 | |
| 60代 | 60歳 | |
| 61歳 | 62歳 | 63歳 |
| 66歳 | ||
| 68歳 | 69歳 |
本サイトについて
本サイトは、日本中世史を専攻する東専房が、余暇として史料めくりの副産物を蓄積しているものです。
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内容に関するお問い合わせは、東専房宛もしくはコメントにお願いします。
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