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死に様データベース
《誅殺》 《1419年》 《6月》 《20日》 《享年不明》


権大納言三条公光の青侍。


京都の街中に、とある元結い売りがいた。
元結いとは、髻を結う紐のこと。

応永26年(1419)頃のこと、
三条公光に仕える青侍掃部助は、
この元結い売りに、元結いを注文した。
ところが、
待てど暮らせど、なかなかできあがってこない。
しびれをきらした掃部助は、
下女を遣わして、元結い売りの遅延を責めさせた。

しかし、というべきか、案の定、というべきか、
下女の難詰に、店の者は激昂し、口論に発展。
ついには、
店の者が、下女に殴る蹴るの暴力をふるい、
その髪を切り落として、叩き出した。

この上ない屈辱を受けた下女は、主の掃部助のもとに走り帰り、
元結い売りの所業を訴えた。
怒った掃部助は、
さらに主人の三条公光のもとへ報告しに行こうとしたところ、
その途中、一条室町で、元結い売り一行に行き遭った。
あるいは、待ち伏せであったか。
一触即発、
元結い売りは、有無を言わさず矢を放った。
対する掃部助も、太刀を抜いて散々に斬りまわり、
2、3人を斬り伏せ、
両者は差し違えて死んだ。


これで終わらないのが、中世の喧嘩である。


この騒ぎに、
掃部助の同僚たち(三条家青侍)が駆けつけた。
一方の元結い売り方には、
その主人の幕府奉公衆関口氏(今川一族)のもとから、大勢馳せ集まった。
すでに、喧嘩の当人たちは死んでいるのに、である。
両者は京都市街地で衝突、合戦に及び、
数多の死傷者を出した。

元結い売り方・関口勢が優勢だったらしい。
勝ちにのった関口勢は、
さらに、三条公光亭に攻め寄せようとしたが、
抗する三条方には、
足利一門の吉良氏が合力したため、攻められず、
にらみ合いとなった。


ここで、
ようやく事態が室町殿足利義持の耳に達し、
お裁きが下る。
義持は、先に仕掛けた元結い売り・関口方を非とし、
関口を追放。
防戦した三条公光には感状を与えて、
青侍ら功名の者たちには、褒美を与えた。


応永26年(1419)6月20日のこと。


中世人のプライドの高さと、
それを共有する集団意識を示す事件とされている。



〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 1』 (宮内庁書陵部 2002年)
清水克行『喧嘩両成敗の誕生』 (講談社 2006年)
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