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死に様データベース
《誅殺》 《1434年》 《7月》 《17日》 《享年不明》


建仁寺の僧。
正首座」とも。
「首座」は、禅宗寺院での役職名で、
*昌」「*正」(*はなんらかの1字)という名であったと思われる。


永享6年(1434)7月9日頃、
京都に不穏な事件が起こった。
建仁寺の昌首座という僧が、
白昼、幸首座という同僚の僧を捕まえて、
双岡にて首を斬って殺害したのだ。

室町幕府はただちに犯人の昌首座を捕縛して、尋問したところ、
共謀する者たちの名を述べたという。
そこには、
京極持高や四条上杉教房、細川持有らの家臣の名も含まれていたというが、
共謀の内容も真偽も明らかでない。


そして、翌10日、
またしても物騒な事件が起きた。
今度は、相国寺で大徳院の老僧が喝食を殺害したのだ。
殺害された喝食は、
山名持豊の親類であったという。


7月17日、
幕府侍所は、この2人の犯人の処刑を執行した。
両僧を裸にして、車に乗せて手足をしばりつけ、
一条大路から引き回して、
相国寺・建仁寺それぞれの境内に移して、さらし者にした。

建仁寺では、鐘を鳴らして境内中に知らせ、
寺内の多くの人びとがこれを見物したという。

夕刻、両人は群衆が見物するなか、
六条河原で斬首に処せられた。
人びとは、
この両人の悪行にこの仕置きでは、まだ足らないと言い合ったという。

伏見宮貞成曰く、「重罪いうに及ばざる事か」(『看聞日記』)
三宝院満済曰く、「前代未聞の事どもなり」(『満済准后日記』)



〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 5』 (宮内庁書陵部 2010年)
『続群書類従 補遺 満済准后日記 下』 (群書類従完成会 1928年)
『史料纂集 師郷記 1』 (続群書類従完成会 1985年)
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