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死に様データベース
《病死》 《1476年》 《6月》 《15日》 《享年48歳》


西行の和歌、
 ねがはくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
にもあるように、
中世の人々は、
15日の夜、つまり満月の夜に往生することを願った、という。


前内大臣日野勝光も、15日往生を求めたひとりだった。

日野流の分家裏松政光の嫡男として生まれた日野勝光の幼少期は、
祖父義資の横死や宗家の有光の失脚、有光の子資親の処刑など、
日野家受難の時代であった。
勝光は、廃絶した日野宗家の家督を継いで、その再興を果たすと、
やがて受難の時代は去り、
勝光は順調に昇進したばかりでなく、
富子が、8代将軍足利義政の正室、9代将軍義尚の母、
さらに、娘が義尚の正室となり、
将軍家の外戚という、かつての日野家の位置を取り戻した。
そればかりか、
応仁・文明の乱という政治の混乱期にも暗躍し、
足利義政・義尚の側近くにあって、大いに権勢をふるった。
蓄財もすさまじく、
「和漢の重宝を山岳の如く集め置」(『長興宿祢記』)いた。


文明8年(1476)4月下旬、
勝光は「雑熱」(『親長卿記』『実隆公記』)に冒されていた。
原因は、「腫物癰」(『長興宿祢記』)だったらしい。
医師は大事ないと診断したが、容体は悪化の一途をたどったようで、
5月10日頃には、「難儀」(『親長卿記』)、「危急之体」(『実隆公記』)となり、
妹の富子が兄のもとに駆けつけた。
14日には、平癒のため陰陽師によって泰山府君祭が行われている。

この頃から、勝光は死への準備を着々と進めている。
往生のことや葬儀のことなどを、あれこれと差配し、
300貫という多額のお布施を準備している。
また、5月16日には、日野家ではじめて左大臣に任じられた。
日野家の家格では、本来左大臣に昇ることはできないが、
足利将軍家の執奏によって、はじめて実現したのである。


6月に入ると、病状は一時安定し、食欲も回復したようだが、
8日夕、医師竹田昭慶の処方した薬を服用したところ、
たちまち容体は一変した。
勝光は、
 もし今回の病で命ながらえるようなことがあれば、竹田昭慶の子孫は医師をやめよ(『雅久宿祢記』)
と、周囲に言い散らしていたといい、
勝光の病状安定に慌てた昭慶が毒を盛った、との噂が流れた。
勝光の発言の真意はよくわからないが、
入念な往生の準備に水を差されることが、嫌だったのだろうか。

10日、「腫物」は病勢を増し、
ついに勝光は、目の前の人を認知することすらできなくなった。
11日には、視線を交わす程度のことはできたようだが、
14日に、義政・富子・義尚一家が見舞いに訪れたのを、理解していたかどうか。


かくして、6月15日未明、
知恩寺の僧4、5人が念仏を勧めるなか、
南枕で西を向いて横たわり、8歳の嫡男政資が水を供える前で、
勝光は息を引き取った。
享年48歳。
年来勝光は、15日に往生したいと願っていたという。
「不思議の事なり。」(『親長卿記』)

なお、供水は死後に行うことだが、
幼い政資が「死面」(『雅久宿祢記』)を怖がったため、
勝光が眠っているときに行ったのだという。

明け方、遺体は知恩寺に移され、
19日辰の刻(朝8時頃)、葬儀が行われて、
同寺法誉上人の沙汰により、千本歓喜寺に土葬された。
院号は、遺言により「唯称院」。
所領の分配はこれも遺言により、吉田兼倶に一任された。


朝儀の停滞を避けるため、
公家全般は、触穢としない旨が通達されたが、
当然ながら、日野一家の人々は触穢とされた。
ただし、日野家のうちでも柳原量光のみは、
父資綱が神事にかかわる関係から、触穢とされていない。
義政は、乙穢(穢れの及ぶ範囲に関する等級のひとつ)とされている。


大乗院尋尊は、
勝光が左大臣に任じられてから、30日に満たずに死んだのを、
「希有の神罰」(『大乗院寺社雑事記』)と酷評している。
敵の多い人生ではあっただろうけれど、
これはいささか言いがかりのような気がしなくもない。



〔参考文献〕
黒田智「弘法大師の十五夜―願われた死の日時―」 (藤巻和宏編『聖地と聖人の東西―起源はいかに語られるか―』勉誠出版 2011年)
『大日本史料』第8編之8 (東京大学出版会 1970年)
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