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死に様データベース
《自害》 《1250年》 《6月》 《24日》 《享年不明》


鎌倉の佐介(現・鎌倉市佐助)に住むがいた。
は、娘とその聟と3人で暮らしていた。

この
あろうことか実の娘に劣情を抱いたらしい。
建長2年(1250)6月24日、
聟が地方に下っているすきをうかがい、
は娘に言い寄った。
驚いた娘は、当然ながらこれを拒絶。
どうにか想いを遂げたいは、
「投げた櫛を拾った者は、肉親も赤の他人となる」という、
絶縁を意味する“投げ櫛”の慣習にのっとり、
娘の部屋に忍び込んで、屏風越しに櫛を投げ入れた。
娘は思わず、その櫛を拾ってしまう。
が「もはや他人である」と、娘に手をかけようとしたそのとき、
聟が帰宅。

実の娘に手をかけようとしたところを、その夫に見られ、
慚愧の念に堪え切れなくなったは、その場で自害した。


家の周りには、どこから聞きつけたのか野次馬が大勢集まり、
の遺骸を見ていたという。


その後の顛末がまた後味が悪い。

の自害に悲嘆した聟は、
の命令に背くから、このような親不孝なことになるのだ。
 生涯の伴侶とするには及ばない」
として、
実父の手にかけられそうになった妻を離縁した。
そして自身は出家し、
の菩提を弔う余生を送ったという。


家庭内性暴力という、今日にまで至る問題と、
中世人特有の親子観や恥の意識がないまぜとなった、
なんとも理解しがたく、胸の悪くなる事件である。



〔参考〕
『新訂増補国史大系 第33巻 吾妻鏡 後篇』 (吉川弘文館 1965年)
秋山哲雄「移動する武士たち―田舎・京都・鎌倉―」(『鎌倉を読み解く―中世都市の内と外―』勉誠出版 2017年 初出2008年)
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