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死に様データベース
《病死》 《1188年》 《4月》 《25日》 《享年24歳》


御台所北条政子の女房。
駿河手越の白拍子出身とされ、
『平家物語』における平重衡との悲恋で知られる。
元暦元年(1184)、
一ノ谷の合戦で生け捕りとなった平重衡が、鎌倉に連行されると、
源頼朝よりそのもてなし役のひとりに選ばれたのが、千手前であった。
琵琶や詩に長じた千手前は、虜囚の重衡の無聊を慰めたという。


文治4年(1188)4月22日夜、
千手前は御前にてにわかに卒倒した。
ほどなく意識を取り戻したが、持病などはなかったという。
翌朝、御所を退出して縁者のもとに移った。

それから2日後の25日朝、
千手前は卒去した。24歳であった。
性格は「大穏便」(『吾妻鏡』)で、人びとに惜しまれたという。
平重衡が京都に送還されるに及んで、恋慕の思いが日々募り、
病を得たのだろうか、と人びとは噂した。
異性愛規範とロマンティックラブイデオロギー、ジェンダーバイアスのもと、
周囲が心の内を勝手に推測して、とやかくいう。

なお、重衡が南都東大寺・興福寺の衆徒に引き渡されて斬首されたのは、
元暦2年(1185年)6月23日のこと。
3年ほど、健康を損なうほど想い続けたこととなり、
日ごろとりたてて体調不良などなかったという記述と、矛盾するようである。


『平家物語』では、
平重衡の刑死を聞いた千手前は、出家して尼となり、
信濃善光寺で重衡の菩提を弔いながら、自身も往生を遂げた、とされている。
南都を焼き討ちして仏罰となった重衡の救済の物語として創作されたか。



〔参考〕
『新訂増補国史大系 吾妻鏡 前篇』(吉川弘文館、1964年)
朴知恵「「平家物語」の重衡と女人達―延慶本を中心に―」(明治大学大学院『文学研究論集』40、2014年)
櫻井陽子「『平家物語』巻十「千手前」の成り立ち―『吾妻鏡』を窓として―」(『駒澤國文』61、2024年)
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