死に様データベース
《病死》 《1497年》 《6月》 《11日》 《享年22歳》
京都安禅寺の住持。
後土御門天皇の皇女。
応善とも。
寿岳恵仙は、
文明8年(1476)5月24日、
後土御門天皇の第三皇女として生まれた。
母は上﨟局と呼ばれた花山院兼子。
幼名は不明。
8月28日、
生後3ヶ月で、伯母芳苑観心が住持をつとめる安禅寺に入室した。
文明12年(1480)4月14日、5歳で喝食となり、
延徳4年(1492)6月15日、17歳で得度。
恵仙は生来病弱だったようで、
延徳3年(1491)5~6月と明応3年(1494)正~4月、若くして長らく病臥し、
その後、多少快復したのか、
明応4年(1495)9~10月には有馬温泉へ湯治に出かけている。
明応6年(1497)6月5日、恵仙は再び発病した。
「御腹気」(『親長卿記』)、あるいは「御痢病」(『実隆公記』)であったといい、
消化器系の疾患とみられたようだ。
そのまま快復せず、
11日酉の刻(夕方6時頃)、逝去。22歳。
「無常歎くべし歎くべし」(『実隆公記』)。
13日、葬礼が行われ、
27日には、関係者の参内が判明したのか、「禁中触穢云々」(『後法興院記』)。
東福寺の了庵桂悟と三条西実隆の間で調整された結果、
没後に、尼五山第一位の景愛寺前住持の称号を贈られることとなった。
安禅寺にはその後、伏見宮邦高親王の娘が後土御門天皇の養女として入室したが、
その子もまた、
明応7年(1498)2月5日、7歳で夭逝してしまった。
〔参考〕
『後法興院記 下巻』(至文堂、1930年) →該当箇所(国立国会図書館デジタルコレクション)
『実隆公記 巻3』(太洋社、1933年) →該当箇所(同上)
『増補史料大成 親長卿記 3』(臨川書店、1965年)
京都安禅寺の住持。
後土御門天皇の皇女。
応善とも。
寿岳恵仙は、
文明8年(1476)5月24日、
後土御門天皇の第三皇女として生まれた。
母は上﨟局と呼ばれた花山院兼子。
幼名は不明。
8月28日、
生後3ヶ月で、伯母芳苑観心が住持をつとめる安禅寺に入室した。
文明12年(1480)4月14日、5歳で喝食となり、
延徳4年(1492)6月15日、17歳で得度。
恵仙は生来病弱だったようで、
延徳3年(1491)5~6月と明応3年(1494)正~4月、若くして長らく病臥し、
その後、多少快復したのか、
明応4年(1495)9~10月には有馬温泉へ湯治に出かけている。
明応6年(1497)6月5日、恵仙は再び発病した。
「御腹気」(『親長卿記』)、あるいは「御痢病」(『実隆公記』)であったといい、
消化器系の疾患とみられたようだ。
そのまま快復せず、
11日酉の刻(夕方6時頃)、逝去。22歳。
「無常歎くべし歎くべし」(『実隆公記』)。
13日、葬礼が行われ、
27日には、関係者の参内が判明したのか、「禁中触穢云々」(『後法興院記』)。
東福寺の了庵桂悟と三条西実隆の間で調整された結果、
没後に、尼五山第一位の景愛寺前住持の称号を贈られることとなった。
安禅寺にはその後、伏見宮邦高親王の娘が後土御門天皇の養女として入室したが、
その子もまた、
明応7年(1498)2月5日、7歳で夭逝してしまった。
〔参考〕
『後法興院記 下巻』(至文堂、1930年) →該当箇所(国立国会図書館デジタルコレクション)
『実隆公記 巻3』(太洋社、1933年) →該当箇所(同上)
『増補史料大成 親長卿記 3』(臨川書店、1965年)
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人名索引
死因
病死
:病気やその他体調の変化による死去。
戦死
:戦場での戦闘による落命。
誅殺
:処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害
:切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死
:事故・災害等による不慮の死。
不詳
:謎の死。
:病気やその他体調の変化による死去。
戦死
:戦場での戦闘による落命。
誅殺
:処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害
:切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死
:事故・災害等による不慮の死。
不詳
:謎の死。
没年 ~1299
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没年 1350~1399
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没年 1400~1429
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没年 1460~1499
没日
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| 某日 |
享年 ~40代
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| 31歳 | 32歳 | 33歳 |
| 34歳 | 35歳 | |
| 37歳 | 38歳 | 39歳 |
| 40歳 | ||
| 41歳 | 42歳 | 43歳 |
| 44歳 | 45歳 | 46歳 |
| 47歳 | 48歳 | 49歳 |
享年 50代~
本サイトについて
本サイトは、日本中世史を専攻する東専房が、余暇として史料めくりの副産物を蓄積しているものです。
当初一般向けを意識していたため、参考文献欄に厳密さを書く部分がありますが、適宜修正中です。
内容に関するお問い合わせは、東専房宛もしくはコメントにお願いします。
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