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死に様データベース
《誅殺》 《1363年》 《7月》 《19日》 《享年不明》


佐々木導誉(京極高氏)の筆頭家臣。
出雲守護代。


貞治2年(1363)7月19日戌の刻(夜8時頃)、
導誉邸から自宅に帰る途中、
京都四条京極の常阿弥堂前にて、暗殺された。
下手人は、侍所所司代若宮左衛門尉。


吉田秀仲が、
導誉の嗣子高秀の廃嫡、導誉の幼い曾孫秀頼の擁立を画策していたため、
侍所所司であった高秀が、その誅殺を命じたのであった。

これにより、
高秀は父導誉の譴責を受けた。
父子の間は、その後怪しいものとなっている。


とはいえ、
下手人の所司代若宮は、
それまで将軍義詮邸におり、
事件後、ふたたび義詮のもとへ行って、
事件を報告したというから、
義詮も了承済みのことだったのだろう。



〔参考〕
『大日本史料 第六編之二十五』 (1931)
『国史大辞典 6 (こま-しと)』 (1985)
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