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死に様データベース
《自害》 《1333年》 《5月》 《9日》 《享年28歳》


六波羅探題北方、
信濃守護。


元徳2年(1330)末、
北条仲時は、上洛して六波羅探題北方に就任。
最初の討幕計画に失敗した後醍醐天皇が、
再び討幕の意を強くしている頃であった。


翌元徳3・元弘元年(1331)、
後醍醐天皇が2度目の討幕計画を起こすに及び、
笠置山に籠った後醍醐天皇を捕えて、鎌倉幕府の命により隠岐に流した。
その後、
畿内山岳部でゲリラを続ける楠木正成・護良親王らの討伐に当たった。

だが、
時代の趨勢は倒幕に傾き、
翌年には、山陰・山陽・四国・九州で反幕府勢力の挙兵が相次ぐ。
元弘3・正慶2年(1333)、
彼らに迎えられて、後醍醐天皇、隠岐脱出。


こうした危機的状況に、
鎌倉幕府は、足利高氏(のち尊氏)らに大軍をつけて、
関東から西へ遣わす。
しかし、
その高氏も、丹波篠村にて幕府より離反、
踵を返して、
播磨の赤松則村らとともに、京都への進軍を開始する。


元弘3年(1333)5月7日、
仲時と六波羅探題南方の北条時益は、洛中で反幕府軍と合戦し、敗北。
ここに、六波羅探題は崩壊する。

反幕府軍の入京を許した仲時と時益は、
持明院統の光厳天皇・後伏見・花園両上皇を奉じて、
鎌倉を目指すこととした。
しかし、
その日の夜、時益戦死。


仲時らが目指した関東であったが、
おりしもその8日、
新田義貞・足利千寿丸(尊氏の子、のちの義詮)らが上野新田荘で挙兵。
軍勢を増やしながら、鎌倉に向けて南下を始めているところであった。


京都脱出に成功した仲時は、
関東の状況など知る由もなく、鎌倉を目指して東山道を東へ急いだ。
だが、9日、
近江番場宿に来たところで、
再び、行く手を反幕府勢力に阻まれる。
しかも、
後陣の佐々木時信は、敵軍に投降してしまう。

前後の敵に進退窮まった仲時は、
番場蓮華寺にて、一族・家臣・同僚ら432人とともに自害。
仲時、28歳。


 越後守仲時、暫し時信を遅しと待ち給いけるが、
 待つ期過ぎて時移りければ、
 さては時信も早敵に成りにけり。
 今はいづくへか引き返し、いづくまでか落つべきなれば、
 爽やかに腹を切らんずるものをと、
 中々一途に心を取り定めて、
 気色涼しくぞ見えける。
 その時軍勢どもに向かって宣いけるは、
 「武運漸く傾いて、当家の滅亡近きにあるべしと見給いながら、
  弓矢の名を重んじ、日頃の好を忘れずして、
  これまでつきまとい給える志、
  中々申すことばはなかるべし。
  その報謝の思い深しといえども、一家の運すでに尽きぬれば、
  何をもってかこれを報ずべき。
  今は我かたがたのために自害をして、
  生前の報恩を死後に報ぜんと存ずるなり。
  仲時不肖なりといえども、平氏一類の名を揚ぐる身なれば、
  敵ども定めて我が首をもって、千戸侯にも募りぬらん。
  早く仲時が首をとって源氏の手に渡し、
  咎を補うて忠に備え給え。」
 と、いいはてざることばの下に、
 鎧脱いでおしはだ脱ぎ、腹かき切って伏し給う。
 糟谷三郎宗秋これを見て、
 泪の鎧の袖にかかりけるをおさえて、
 「宗秋こそまず自害して、
  冥途の御先をも仕らんと存じ候いつるに、
  先立たせ給いぬることこそ口惜しけれ。
  今生にては命を際の御先途を見はてまいらせつ。
  冥途なればとて見放し奉るべきにあらず。
  暫く御待ち候え。
  死出の山の御伴申候わん。」
 とて、越後守の、つか口まで腹に突き立ておかれたる刀を取って、
 己が腹に突き立て、仲時の膝に抱きつき、
 うつぶしにこそ伏したりけれ。
 これをはじめて、
 佐々木隠岐前司・子息次郎右衛門・同三郎兵衛・同永寿丸・
 (この間151名略)・愛多義中務丞・子息弥次郎、これら宗徒の者として、
 都合四百三十二人、同時に腹をぞ切ったりける。
 血はその身を浸して、あたかも黄河の流れのごとくなり。
 死骸は庭に充満して、屠所の肉に異ならず。 (『太平記』)
 


「蓮華寺過去帳」には、
彼らの名前が記されている。
一部、年齢の記されている者のなかでは、
最も若くして、問注所阿子光丸、14歳、
年長の者で、糟屋弥次郎入道明翁、64歳。

老若430余名の同時自害。
中世を代表する、最も印象的な死のひとつ。



〔参考〕
竹内理三編『鎌倉遺文 古文書編 41』 (東京堂出版 1990年)
『太平記 1 日本古典文学大系 34』 (岩波書店 1960年)
小林一岳『元寇と南北朝の動乱 (日本中世の歴史4)』 (吉川弘文館 2009年)
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