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死に様データベース
《誅殺》 《1363年》 《7月》 《19日》 《享年不明》


佐々木導誉(京極高氏)の筆頭家臣。
出雲守護代。


貞治2年(1363)7月19日戌の刻(夜8時頃)、
導誉邸から自宅に帰る途中、
京都四条京極の常阿弥堂前にて、暗殺された。
下手人は、侍所所司代若宮左衛門尉。


吉田秀仲が、
導誉の嗣子高秀の廃嫡、導誉の幼い曾孫秀頼の擁立を画策していたため、
侍所所司であった高秀が、その誅殺を命じたのであった。

これにより、
高秀は父導誉の譴責を受けた。
父子の間は、その後怪しいものとなっている。


とはいえ、
下手人の所司代若宮は、
それまで将軍義詮邸におり、
事件後、ふたたび義詮のもとへ行って、
事件を報告したというから、
義詮も了承済みのことだったのだろう。



〔参考〕
『大日本史料 第六編之二十五』 (1931)
『国史大辞典 6 (こま-しと)』 (1985)
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《病死》 《1365年》 《5月》 《4日》 《享年60歳》


北条氏一門赤橋久時の娘。
室町幕府初代将軍足利尊氏の妻で、
2代将軍義詮・初代鎌倉公方基氏の母。

正慶2年(1333)5月、
夫尊氏が、後醍醐天皇の倒幕軍に投じた際には、
子の千寿王(のちの義詮)とともに、鎌倉にあったが、脱出し、
新田義貞らの倒幕軍と北条氏一門の、鎌倉市街戦には、
巻き込まれずには済んだ。

ただ、
鎌倉幕府最後の執権をつとめた兄守時は、
同年5月18日、
鎌倉巨福呂坂で、新田勢と戦ったのち、自刃。
鎮西探題であったもう一人の兄英時も、
同年5月25日に、
九州の少弐貞経・大友貞宗らに敗れて、
筑前博多で自害した。

赤橋登子にとって、
夫尊氏は、親兄弟の仇の筋に当たらなくもない。


その夫尊氏が、
延文3年(1358)4月30日、没すると、
出家して、尼となったらしい。


貞治3年(1364)頃より、
悪瘡により、病気がちであったが、
翌貞治4年(1365)に入ってからは、
やや快方に向かっていた。
ところが、
その年の5月4日酉の斜(夜7時頃)、
危篤に陥る。
事態を聞いた諸大名が、将軍義詮邸に参集した。
子の刻(深夜0時頃)、
他界。

6日申の刻(夕方4時頃)、
夫尊氏の墓所である仁和寺等持院にて、葬儀。
子の刻(深夜0時頃)、火葬。
8日、納骨。
登子に仕えていた清原教氏が、
この日、出家した。

葬儀いっさいは、
将軍である嫡子義詮が執り行ったが、
次男基氏も、関東にあって、
喪に服した。


6月4日までの30日間、
天下触穢とされた。



〔参考〕
『大日本史料 第六編之二十六』 (1933)
谷口研語「足利尊氏の正室、赤橋登子」(芥川龍男編『日本中世の史的展開』 文献出版 1997)
《自害》 《1364年》 《7月》 《27日》 《享年不明》


上野新田氏の一族。

南北朝内乱では、
新田氏の惣領義貞から離れて、足利方として戦った。
それゆえか、
貞治3年(1364)4月頃には、
上総守護となっている。


それからわずか数ヶ月後の7月27日、
世良田義政は突如、鎌倉公方足利基氏の勘気を蒙った。
翌28日、
基氏より討手を差し向けられ、
鎌倉如来堂にて自害。


義政がなぜ勘気を蒙ったのか、
はっきりしたことはわからないが、
弟岩松直国との、新田氏惣領職や新田荘の領有をめぐる争いや、
鎌倉公方足利基氏と関東管領上杉憲顕による、
鎌倉府権力の確立のうえでの、何かしらの意図があったのかもしれない。



〔参考〕
小国浩寿「上総守護と世良田義政事件」(『鎌倉府体制と東国』 吉川弘文館 2001)
《病死》 《1363年》 《2月》 《8日》 《享年37歳》


京都三条坊門油小路の念仏僧か。


貞治3年(1363)2月8日亥の刻(夜10時頃)、
三条坊門油小路の念仏堂にて、
端座合掌したまま、弘阿弥入滅。
昨冬より、体を壊していたという。


〔参考〕
『大日本史料 第六之二十六』 (1933)
《病死》 《1364年》 《2月》 《13日》 《享年87歳》


室町幕府2代将軍足利義詮に、召仕として仕えていた。
出自等は未詳。


貞治3年(1364)2月13日酉の刻(夕方6時頃)、
矢部尼、他界。

すこし前から、急に体調を崩して、
将軍邸を退いていたという。


中原師守は日記に、
「老病か」(『師守記』)
と記しているから、
老衰だろうか。


「中世人今際図巻」、長寿記録更新。



〔参考〕
『大日本史料 第六之二十六』 (1933)
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