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死に様データベース
《病死》 《1448年》 《4月》 《13日》 《享年59歳》


庭田経子、のち幸子
贈左大臣庭田経有の娘。
伏見宮貞成親王に仕えて、
性恵、後花園天皇、貞常親王、雲岳聖朝らの王子女を産み、
その正妻格となった。


天皇の母として、
永享6年(1434)3月、従三位に叙され、
文安元年(1444)4月、准后宣下を受けた。
叙従三位の折、父経有の一字をとって「経子」と名付けられたが、
准后宣下に際して「幸子」と改名した。
伏見宮家では、「今参」「二条局」、次いで「南御方」と呼ばれた。

癇癖な6代将軍足利義教や、その正妻正親町三条尹子と良好な関係を維持し、
社交的な性格だったかといわれている。


文安4年(1447)11月末、
夫の貞成親王は、天皇の父として院号宣下を受け、
後崇光院の尊号と上皇の待遇を得たが、
この少し前から、幸子は病魔に冒されていた。
「噎病所労」(『看聞日記』)、また「噎御病」(『師郷記』『康富記』)というから、
嚥下に困難が生じるのどの病気か、呼吸器系の疾患であったろうか。

翌文安5年(1448)2月、
形式にのっとって貞成親王の尊号辞退が進められるのと同時に、
幸子への女院号宣下の話が進められた。
2月3日、夫貞成は関白一条兼良に相談のうえ、後花園天皇にこの件を申し入れた。
幸子の病状は、治療の甲斐なく進行しており、宣下が急がれたのである。
翌4日には、色よい勅答が貞成のもとに届いている。


2月28日、
後花園天皇が、伏見宮家の御所に行幸して母幸子を見舞った。
幸子の容態は、「難治」(『師郷記』)、「昨今御危急」(『康富記』)であったのだ。
一条東洞院の内裏と土御門高倉の伏見宮家御所は、大路を挟んで向かいどうしであり、
徒歩での行幸であったともいう。
子の刻(深夜0時頃)に内裏を発した後花園天皇は、母幸子を見舞ったのち、
父貞成親王や弟貞常親王と盃を交わし、
丑・寅の刻(深夜2~4時頃)に還幸した。


この深夜の見舞いに際して、事前に諮問を受けた関白一条兼良は、
  「非常の臨幸」というのは、
  近隣の火事か、あるいは死に目に駆け付けるようなときになされるものであって、
  長患いを見舞うなら、方違えという名目で行くのがよいでしょう、
と進言した。
しかし、方違え行幸では事が進まなかったようで、
後小松天皇が危篤の母通陽門院(三条厳子)を見舞った応永13年(1406)の例を引いて、
結局、「非常の臨幸」となった。
関白兼良以下、前権大納言三条西公保、権大納言松木宗継・正親町三条実雅、
権中納言正親町持季、参議東坊城益長・正親町三条公綱・中山親通、
左中将庭田政賢・冷泉為富、右中将白川忠富・山科顕言、少将小倉実右・滋野井教国、
蔵人頭柳原資綱・坊城俊秀が供奉をし、
大路に出て渡るまでの路次を、管領細川勝元の配下が警固した。
親の見舞いを行くのに、実にぎょうぎょうしいことである。


3月4日、幸子への女院号宣下が実現し、
東坊城益長の勘進により、敷政門院の称号が与えられた。


4月13日申の刻(夕方4時頃)
幸子は二尊院住持臨空を戒師として落飾。
もとは15日に落飾の予定だったが、予断を許さぬ状況として、
2日早めての落飾であった。

落飾ののち、幸子は手や顔を清めて、念仏を唱え、
酉の刻(夜6時頃)、崩御。59歳。
「御臨終正念云々」(『師郷記』『康富記』)
触穢、諒闇としない旨が定められた。


15日暁、遺骸は伏見大光明寺に移され、
16日には、貞常親王やその姉妹たちが、伏見の御所跡に建つ法久庵に入った。
19日卯の刻(朝6時頃)、大光明寺にて葬儀が営まれ、
22日、大通院にて中陰の儀、
5月25日、大光明寺で四十九日の法要が行われた。


性恵の死も克明に記した夫貞成親王の日記『看聞日記』は、
2月初旬から4月7日までの記事がふつりと途切れている。
77歳の夫の心中は、いかばかりであったか。


〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 7』(宮内庁書陵部、2014年)
『増補史料大成 康富記 2』(臨川書店、1985年)
『史料纂集 師郷記 4』(続群書類従完成会、1987年)
松薗斉「伏見宮家の南御所」(『中世禁裏女房の研究』思文閣出版、2018年)
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