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死に様データベース
《誅殺》 《1479年》 《5月》 《6日》 《享年10代》


室町幕府奉公衆、長下総守の息子。
実名は未詳。
仮名「次郎」は名乗っているが、元服したばかりの10代半ば~後半であったか。


園城寺戒乗坊の坊主は常日頃、
長次郎に「迷心」し、「朝夕知音」であった(『晴富宿禰記』、以下同)
ぞっこんで、日々親しくしていたのである。


文明11年(1479)5月6日、
この日も、坊主は自坊に次郎を招いた。
次郎は、従者を近くの西林坊に待たせて、
戒乗坊で坊主と二人きりの時を過ごした。


幾程か経ったころか、
次郎の従者である若党の山岩中務丞は、
そろそろ帰宅の頃合いかと思い、戒乗坊に主人を迎えにいった。
門は閉ざされていたので、叩いてみたが一向に開く気配がない。
隙間から中を覗いてみると、
庭に血だまりがあるのが見えた。
不審に思った山岩は、脇から門を押し破って坊内に入った。

坊内には誰もおらず、座敷には血が「充満」していた。
寝室を開けてみると、
そこに横たわっていたのは、小袖にくるまれた次郎の他殺体。
40ヶ所以上の傷があった。
「言語道断の躰」。
坊主はすでに行方をくらませていた。
何かを持ち出した形跡もなかった。


坊主は身寄りもない、「無縁孤独の者」であったという。
同宿も弟子もおらず、坊には下人が2人いるだけであった。
事件当時、
そのひとりは、なにがしかの命を受けて地方へ遣わされており、
もうひとりは自宅にいて、事件については何も知らないとのことだった。
坊主の単独犯だったようだが、
下人2人を遠ざけているあたり、無計画な衝動的な犯行ともいいきれない。


長父子を知る官人壬生晴富が、使者を弔問に遣わしたところ、
父の下総守はただ「惘然」とするばかりであったという。


中世の男性どうしの性愛は、
もっぱら成人男性による少年愛であり、
今日的な同性愛とは異なるものであったとされる。
40ヶ所以上という傷の多さは、執着と怨恨の深さをうかがわせる。
少年愛のような非対等な性愛は、
ふとしたきっかけで、いともたやすく他害に転じ、弱者の命を奪う。



〔参考〕
『図書寮叢刊 晴富宿禰記』(宮内庁書陵部、1971年)
村岡幹生「日本中世社会における盗犯の位置・試論―盗みが裁判にかけられる時―」(『歴史の理論と教育』58、1983年)
湯川敏治「男色雑稿―戦国期の公家日記を中心に―」(『古文書研究』74、2012年)
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