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死に様データベース
《病死》 《1452年》 《6月》 《24日》 《享年15歳》


室町幕府管領細川持之の息子。勝元の弟。
細川典厩家の継嗣。
右馬助。


宝徳4年(1452)の夏、
京都では疱瘡(天然痘)が大流行し、命を落とすものが続出した。
室町幕府や朝廷の周辺でも、
駿河守護今川範忠の子や赤松治部少輔、右中将土御門有通らが相次いで没した。

4月ごろ、細川京兆家から典厩家に養子入りしていた細川右馬助成賢も、疱瘡に罹った。
2ヶ月の闘病のすえ、6月24日、卒去。15歳。
「その体(てい)、常篇を絶すと云々。」(『師郷記』)というから、
尋常ならざる病態だったようだ。
疱瘡は、発疹が化膿するほか、高熱を発して呼吸不全も起こすというから、
よほど苦しんだのだろう。

家人の内藤藤右衛門が「悲歎の余り」殉死した(『師郷記』)

継嗣成賢の死により、
典厩家はのちに細川野州家から養子に入った政国が継ぐこととなる。
管領細川勝元の隣に、有力一門典厩家の当主として実弟成賢がいたならば、
その後の幕府政治の流れもいささか変わっていたろうか。


〔参考〕
『史料纂集 師郷記 5』(続群書類従完成会、1988年)
川口成人「細川持賢と室町幕府 : 幕府-地域権力間交渉と在京活動の検討から(『ヒストリア』266、2018年)
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 :戦場での戦闘による落命。
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 :処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害

 :切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死

 :事故・災害等による不慮の死。
不詳

 :謎の死。
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