忍者ブログ
死に様データベース
《病死》 《1229年》 《9月》 《22日》 《享年30代》


後高倉院守貞親王の皇女。
母は北白河院持明院陳子。
後堀河天皇の「妹宮」(『玉蘂』)とあるが、姉の誤り。
京都押小路御所に住まい、「押小路宮」と呼ばれた。


寛喜2年(1229)8月21日、
すでに出家していた本子内親王は、
尼の身ながら内親王宣下を受けた。
「比丘尼の幸、当世勝計すべからず」(『明月記』)、
つまり、尼僧の幸運としてこのうえないことである、といわれている。


しかし、すでにこのころから健康に不安を抱えていたらしい。
9月16日には、医師より「大腹水腫御病」(『明月記』)と診断された。
それから6日後の22日酉の刻(夕方6時頃)、薨去。
姉妹の年齢からして、30代前半であったかと思われる。
24日夜、二条西堂の辺りで葬送された。

邸宅の押小路御所は、同母妹の能子内親王に継承された。



〔参考〕
『明月記 3』(国書刊行会、1973年)
『玉蘂』(思文閣出版、1984年)
PR
Comment
Name:
Title:
Color:
Mail:
URL:
Comment:
Pass:   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
254  253  252  251  250  249 
ブログ内検索
死因
病死

 :病気やその他体調の変化による死去。
戦死

 :戦場での戦闘による落命。
誅殺

 :処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害

 :切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死

 :事故・災害等による不慮の死。
不詳

 :謎の死。
本サイトについて
 本サイトは、日本中世史を専攻する東専房が、余暇として史料めくりの副産物を蓄積しているものです。
 当初一般向けを意識していたため、参考文献欄に厳密さを書く部分がありますが、適宜修正中です。
 内容に関するお問い合わせは、東専房宛もしくはコメントにお願いします。
最新コメント
[08/26 記主]
[01/18 記主]
[01/16 記主]
[10/20 世良 康雄]
[08/18 記主]
[09/05 記主]
[04/29 記主]
[03/07 記主]
[01/24 記主]
[03/18 記主]
アクセス解析
忍者アナライズ
P R
Admin / Write
忍者ブログ [PR]