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死に様データベース
《病死》 《1245年》 《9月》 《24日》 《享年46歳》


後高倉院守貞親王の皇女。
母は北白河院持明院陳子。
同母弟に後堀河天皇。

寛喜元年(1229)に他界した姉本子内親王より、押小路御所を相続し、
「押小路姫宮」と呼ばれたが、
その後、もうひとりの姉式乾門院利子内親王と、母の旧邸であった北白河御所に同居して、
「白河姫宮」「白河尼姫宮」と呼ばれた。
系図史料には「斎宮」とあるが、未詳。


能子がいつごろ出家したのかは不明だが、
出家後の延応2年(1240)4月21日、
姪の暉子内親王とともに内親王宣下を受けた。
能子の名は、このとき大蔵卿菅原為長の勘進で付けられたもの。


いつのころからか、能子内親王は体調をくずし、
長患いで食欲不振が続いていたところ、
寛元3年(1245)9月24日辰の刻(朝8時頃)、閉眼。
46歳。


妹の邦子内親王は、弟後堀河天皇の准母として安嘉門院に、
姉の利子内親王は、甥の四条天皇の准母として式乾門院に、
と、同母の姉妹はそれぞれ女院に立てられたが、
能子と、いささか早く先だった本子の両内親王は、その栄誉に浴することはなかった。
姉妹の明暗を分けたものは何だったのか。



〔参考〕
『増補史料大成 平戸記2・妙槐記』(臨川書店、1965年)
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病死

 :病気やその他体調の変化による死去。
戦死

 :戦場での戦闘による落命。
誅殺

 :処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害

 :切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死

 :事故・災害等による不慮の死。
不詳

 :謎の死。
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