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死に様データベース
《誅殺》 《1424年》 《12月》 《6日》 《享年不明》


山城浄金剛院の僧。


京都の西郊椎野の浄金剛院の僧理観は、
住持空席の同院において、
看坊(監守役)として、寺務をとりしきっていた。

応永31年(1424)12月6日夜、
同院の門前において、理観は何者かに殺害された。
犯人は皆目わからず、
“妻敵”として討たれたのではないか、とも噂された。
そんな噂とはうらはら、
理観は「心繰り穏便」(『看聞日記』)の人とも評されている。


浄金剛院では、
応永30年(1423)9月、
住持(伏見宮栄仁親王王子)が入滅してのち、
その跡をめぐって混乱が生じていた。
住持は生前、柳原宮(後二条天皇後裔)の子の入寺を望んでいたが、
同院に所縁を持つ正親町三条家は、これに反発。
結局、正親町三条公雅の子が入寺することに決定した。
ところが、
僧侶たちは、荒廃を理由に念仏宗から禅宗への改宗を訴え、
幕府が許可したため、
正親町三条公雅の子の入寺は、とりやめとなり、
かわって、伏見宮家の子が入寺することとなった。

前住持の思惑、
正親町三条家の強請、
寺僧たちの要求……。
混乱の背景には、
こうした院内外の対立があったらしい。
理観はその抗争に絡んで、殺害されたのであろうか。



〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 2』 (宮内庁書陵部 2004年)
『図書寮叢刊 看聞日記 3』 (宮内庁書陵部 2006年)
赤坂恒明「柳原宮考」 (『ぶい&ぶい』27 2014年)
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