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死に様データベース
昨年10月末の開設以来、1年と数ヶ月、
ようやく、当ブログは中世人100人の死を看取るに至りました。
区切りとして、
これまでの感想などをとどめておきたいと思います。


権力者など、名のある人の死は、
足利義持同義勝西園寺実兼などのように、
病死でも、病状の一進一退が克明に描かれています。
これらの情報が、その人の周辺で流布され、
人々に注目されていたのです。
同時代の人々が、これらを日記に逐一記していることは、
現代と同じく、
中世人が、情報を価値ある重要なものと認識していたことを教えてくれます。


しかし、
そこは中世、
軋轢や相克による死、暗殺・謀殺の類も多くあります。
当ブログでは、区別が難しいため、「誅殺

」の項に含めましたが、
岩松満純のような、敗れた末の刑死、
あるいは、
山川八郎のような、見せしめとしての刑死のほか、
本折主計允楊梅兼英斎藤筑前入道のような暗殺、
太田道灌高橋四郎唐橋在数などの主人によるお手打ちも、数多くあります。
軋轢や対立が、殺人でしか解決できないほど、
のっぴきならないものになっていたことが、うかがえます。
そして、
それらを、殺人という方法で自力で解決する選択が、
中世人によって度々とられていたことも、うかがえます。
“自力救済の時代”といわれる中世の一面を示しています。


また、
美乃北野社僧某らの、闘諍の死、
酒の席での喧嘩の末という、坊門信守町野淳康の例もあります。
現代と異なり、武器が身近にあった中世ならでは、と言えましょうか。
ことに、酔って喧嘩して死ぬなど、
もはや、無駄死にというほかないような死に様です。
彼らも、刀剣類を携行していなければ、
死なずに済んだかもしれません。

一方で、
公家という支配者層でありながら、困窮の上の死という、
裏辻実秀中院通守のような例もあります。
受け皿も救済措置もない時代、
一度つまづけば、あとは死に至るしかない、
そんな時代像を映す死といえます。


死を、他人があからさまな形で様々に利用するのも、
中世の特色かもしれません。
三条尹子のような、政治的に利用される死や、
斯波義教五井兵庫頭玄任のように、
宗教的に語られたり、利用されたりする死も多くあります。
渋川伊予守のように、「~だから死んだのだ」というような、
現代からみれば非科学的な因果関係が、
死の周辺には、常にまとわりついていたのです。

赤松政則葉室光忠のように、
死んでまで批判を受ける人も多々。
「不謹慎」を楯に人々の言動を封じる、現代的な死をめぐる過剰な“自粛”
とは、また違った、
ドライな中世人の生死観がうかがえます。


そして、
中世人、特に武士のイメージとして何ともリアルなのは、
山内経之野本朝行の姿でしょう。
戦場を騎馬で駆けめぐるような、勇壮な武士のイメージとはほど遠い、
他者の死に苦悩し、自己の死に対して諦観するという、
人間としてのリアルな姿が、そこにはあります。
いつの時代とて、戦争が人々に忌避されるものであったことを、
吾々に教えてくれます。


というわけで、
100死の総括ともならない話でしたが、
今後も、中世人の死に際データベースの構築を目指して、
ぽちぽちと更新してゆきますので、
何卒ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。


なお、
時代が南北朝・室町期に偏っているのは、
当ブログが筆者の史料めくりの副産物である、
という位置付けによります。
ご了承ください。
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当ブログでは、
たびたび、歴史資料や古典文学作品を引用しております。

引用にあたっては、
資料の放つ歴史的な雰囲気を感じていただきたいため、
原資料のままとしたいところですが、
原文のままでは、
特殊な表現や難解な読み方、聞きなれない言葉が多くて、
なかなか読みづらい。

そこで、
当ブログでは、基本的に、
原文を、字の返りを読み様に正し、送り仮名を補った、
読み下し文を掲げております。
さらに、
読み下し文でも難解なものは、
現代語訳で掲げております。

これら、読み下し文と現代語訳は、
作者本人の解釈によるものです。
ご了承ください。
誤りなどありましたら、
コメント等でご指摘いただければ幸いです。

また、
参考にした刊本は、参考文献とともに末尾〔参考〕欄に掲げております。
原文の気になる方は、どうぞご参照ください。

  
明けましておめでとうございます。
本年も、当ブログ「中世人今際図巻」を、
どうぞよろしくお願いいたします。

12月より、更新速度がダウンしましたが、
今後も気ままなペースで、
ぽちぽちと進めていきたいと思います。
“中世人の今際のきわのデータベース化”という壮大な構想の実現は、
いったいいつになりますことやら・・・。
なお、
拍手やコメントなどいただければ、
作者が喜びます。


おめでたい元日くらいは、
物騒だったりするような記事の更新は止めて、
新年のご挨拶のみとさせていただきます。
ご了承ください。
中世のひとびとは、
現代のわれわれとは、ずいぶん違った感覚や考え方を持っていた、
といわれています。


中世、
すなわち、院政期~戦国時代を政治状況で見てみますと、

 院政、
 平清盛の平氏政権、
 治承・寿永の内乱(源平合戦)、
 鎌倉幕府、
 元寇、
 建武の新政、
 南北朝の動乱、
 室町幕府、
 享徳の乱、
 応仁・文明の乱、
 戦国乱世、
 織田信長、豊臣秀吉、

というように、
戦乱の時代でした。
そして、それは、
自分の命や権利は、自分で守らねばならない、
“自力救済”の時代でもありました。
つまり、
中世とは、
死というものが、きわめて身近に存在する時代だったのです。

それならば、
中世のひとびとは、
現代のわれわれとは大きく異なる死生観を持っていたはずです。


中世人のいまわのきわを集めていれば、
いつか、われわれには到底思いも寄らないような中世人の死生観が、
見えてくるかもしれません。
などと、
現代のわれわれは、他力本願なことをいいながら、
それを座して眺めていたいと思います。


なお、
当ブログで取り上げるものは、
史料の制約上、
どうしても、権力者や貴族、著名人が多くなってしまいます。
なるべく身分や性別、職業に偏りがないよう、心がけますが、
その点ご理解いただければ、幸いです。

   
死に様は、その人の生き様を映す鏡である。
死に様を見れば、生の何たるかが見えてくるかもしれない。


・・・などという高尚な目的を、当ブログは持っておりません。


人類にとって、死というものは興味深いものであり、
ひとの死に際は、古今を通じて人々の関心をひいてきました。
歴史資料や古典文学をひもとけば、
しばしば、死の現場が克明に描かれています。
畳の上の大往生、
戦場での壮絶な戦死、
予期せざる不運な事故死、
病死、毒殺、暗殺、処刑、切腹、餓死、心中、・・・
死は、万人に等しく訪れるとはいえ、
その様相は、実に千差万別です。

ひとの死に際は面白い。
面白いものを集めれば、もっと面白いかもしれない。
当ブログは、
そういう、不謹慎かつ悪趣味な興味関心によってのみ成り立っています。
ご了承のうえ、お楽しみください。



   
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本サイトについて
 本サイトは、日本中世史を専攻する東専房が、余暇として史料めくりの副産物を蓄積しているものです。
 当初一般向けを意識していたため、参考文献欄に厳密さを書く部分がありますが、適宜修正中です。
 内容に関するお問い合わせは、東専房宛もしくはコメントにお願いします。
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