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死に様データベース
《誅殺》 《1374年》 《2月》 《11日》 《享年33歳》


修理権大夫藤原親尹の子。
後光厳上皇の側近。


後光厳上皇が崩じて二七日も過ぎない、
応安7年(1374)2月11日の暁時、
上皇の旧居仙洞柳原殿の南土門脇にて、
男の斬殺死体が見つかった。
死体の主は、備前守藤原懐国(やすくに)、33歳。
犯人は不詳。


懐国は、代々徳大寺家の家人の家に生まれたが、
自身は、主家と疎遠になっており、
むしろ、北朝の後光厳院に近仕した。
在位時には、六位蔵人として長く仕え、
退位のおりに、五位にのぼり、
その後も、上北面として院に仕えたのである。

しかし、そのうちに懐国は、
後光厳の寵愛を受けた二位局(日野宣子)と密通し、
その権威をかさに、傍若無人のふるまいをなした。
あまりの行状に、後光厳の叡慮にも違うことも起こすようになり、
しだいに御前より遠ざけられたという。

当時の公家の日記も、
「彼局(日野宣子)最愛の間、権威を募り、毎時誇張、
 ほとんど傍若無人の体なり。」(『後愚昧記』)
「朝恩を誇り、年来過分の振る舞い、諸人目を側む。
 二品局(日野宣子)しきりに引汲の間、
 いよいよ傍若無人の思いを成すと云々。」(『愚管記』)
と、懐国評は手厳しい。


とかく、敵が多い人物だったらしい。
犯人についても、その後取り沙汰されていない。
懐国によって不遇をかこった人物の犯行だったのだろう。
専横を恣にしたすえの横死に、
周囲は「因果応報」「さもありなん」といった具合だったのだろうか。

しかし、
彼を知る者は、その死を悼んでいる。
「年少より見及ぶ者なり。
 不便々々(ふびんふびん)。」(『愚管記』)
「二七日中横死の条、不便々々。
 …たとい古敵たりといえども、情類あり。
 このときもっとも斟酌すべきものか。」(『保光卿記』)
もっとも、土御門保光のほうは、
複雑な心境であったようだが…。



〔参考〕
東京大学史料編纂所データベース
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無題
タイトルを「藤原懐国」より「物加波懐国」へ変更。
記主 2018/01/24(Wed)21:09 編集
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