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死に様データベース
《誅殺》 《1431年》 《7月》 《某日》 《享年不明》


山城国伏見荘の地下人。


永享3年(1431)6月、
山城国伏見荘内で、窃盗事件が起きた。
さっそく捜索がなされ、
地下人の内本兵庫という者が、
年来盗人の疑いありとして捕えられた。

この内本兵庫には、
御所侍である善祐・助六、光台寺の僧俊意という3人の兄弟があったが、
彼らはこの兵庫という困った兄弟に、早々に見切りをつけていたようで、
善祐は1年前に義絶、
助六・俊意は、「容疑が固まったら切腹させよ」と言ったという。
ただ、伏見荘の領主伏見宮貞成親王は、
「もし無実だったらかわいそうだ」(『看聞日記』)と、
冤罪を恐れている。


当の内本兵庫は容疑を否認したが、
審判を湯起請にゆだね、有罪なら切腹も辞さないことを述べた。


湯起請とは、
起請文を記して、うそ偽りのないことを神明に誓ったのち、
熱湯に腕を入れ、その結果によってことの審判を行う、というもので、
紛争解決の手段として、中世盛んに行われた。
湯起請ののち、一定期間内に、
火傷や鼻血、病気など身体に変化があらわれた場合、
その変化を「失」といい、その方が敗訴・有罪となる。


6月4日、
伏見御香宮神社において、内本兵庫の湯起請が行われた。
結果、すぐには失は出なかったが、
3日間は経過を見るということで、兵庫は御香宮神社に召し篭められた。


翌5日、
新たに容疑者4人が拘束され、湯起請が行われることとなった。
1人は逐電、
3人が湯起請のため、御香宮神社に連れて行かれた。
1人目の結桶師は、すぐに火傷が出たため、捕縛。
後日、室町幕府侍所の獄舎に入れられた。
残り2人は失が出ず、村に返された。


6日、
内本兵庫の経過観察3日目。
まったく失が出なかったため、無罪が決定した。

放免となった兵庫は、その後伏見荘を離れ、
畿内近国を彷徨ったらしい。
7月のある日、
大和のあたりで流浪人の太刀を盗もうとして、返り討ちに殺されてしまった。

「遂に盗みを以って身を果つ。存内の事なり。」(『看聞日記』)



〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 3』 (宮内庁書陵部 2006年)
清水克行『日本神判史 (中公新書)』 (中央公論新社 2010年)
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