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死に様データベース
《誅殺》 《1419年》 《正月》 《25日》 《享年不明》


比叡山僧。
青蓮院門徒。山門使節。

山門使節であった円明坊兼承は、
応永25年(1418)冬頃から、
室町殿足利義持の不興を買っていた。

山門使節とは、
室町幕府によって設置された比叡山衆徒統制のための組織で、
複数の有力山徒よりして成り、
幕府から比叡山に対する種々の権限を付与されていて、
「比叡山の守護」とも称されるような存在である。

翌26年(1419)正月25日朝、
兼承は、鞍馬寺へ参詣の途次、市原野において、
暴漢たちの襲撃を受けた。
襲ったのは、兼承の弟の乗蓮房兼宗。
兼宗は、義持の密命を受けていたという。

襲撃を受けた兼承の護衛の者たち20数名は皆、
散り散りに逃げ去ったが、
中間1人だけは踏みとどまり、
主人兼承とともに奮戦の末、ともに討死。
襲った兼宗側も、数名の死者を出した。


翌月、
兼宗は義持より、
その手で葬った兄兼承の旧領を与えられ、
円明坊は廃絶した。
兼宗はその後、いったん失脚するが、復活を果たし、
円明坊を再興して、房主におさまった。


彼とその息子たちが、のちに幕府と対立し、
永享の山門騒乱の中心人物として、
凄絶な死に様を迎えるのは、また別の話。



〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 1』 (宮内庁書陵部 2002年)
『続群書類従 補遺 1 満済准后日記 上』 (続群書類従完成会 1958年)
『増補史料大成 37 康富記 1』 (臨川書店 1965年)
下坂守『中世寺院社会の研究』 (思文閣出版 2001年)
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