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死に様データベース
《病死》 《1441年》 《5月》 《28日》 《享年26歳》


伏見宮貞成親王第一王女。
父貞成、45歳のときの、待望の第一子である。
三時智恩寺(入江殿)方丈。


嘉吉元年(1441)3月、
京都周辺で、疱瘡(天然痘)が流行。
後花園天皇や後崇光院伏見宮貞成親王の周辺でも、
感染者が相次いだ。

3月14日、性恵も感染し、
母庭田幸子の見舞いを受けた。
17日、病状が思いのほか重篤であるとして、
再び母の見舞いを受けたが、
「今日はいささかよき様なり」(『看聞日記』、以下同)
と、元気な様子を見せたらしい。

この日、
伏見宮家の仕女新大夫が、罹患のため宮亭を退出。
貞成親王の近臣庭田重賢もまだ癒えず、宮家に祗候していなかった。
性恵の実弟後花園天皇も罹っている。


21日にも、母幸子は娘性恵を見舞う。
病状は変わらず。
将軍足利義教から医師が遣わされ、
また父貞成親王も、医師和気茂成を遣わしている。

同日、後花園天皇が発疹して、大騒ぎになっている。
23日、幸子は息後花園の見舞いへ。


25日には、
性恵・後花園姉弟ともに、やや病状が落ち着いた。
27日、また幸子は娘を見舞ったが、
病状は再び悪化したようで、苦しげあったという。
一方の後花園は、次第に快方に向かっていった。
28日、性恵、小康。
こうして、性恵の病状は一進一退を繰り返す。


4月初旬、
疱瘡流行の猛威は、とどまることを知らず、
伏見宮家を襲う。
近衛局・春日局・右衛門督局・新大夫ら女中たちや、近臣西大路隆富が感染し、
貞成の次男・四女・五女も罹った。
宮亭には、竹田昌耆・小森頼豊ら医師が、
たびたび診察に訪れている。


性恵の病状はといえば、
4月3日、「いささかよき様」、
8日、「いささか本復」。
8日の快復具合は、なかなかのもので、
病床から出て、父貞成の御所を訪れるほどのものであった。

しかし、
19日、「再発か」。
「本復念願無極」の言葉には、
父貞成の落胆と切なる祈りが感じられる。
21日、病状変わらず。
23日から29日まで、快復を祈って、
陰陽師土御門有重によって泰山府君祭が行われた。
初日に早速験があったらしく、
「昨日よりいささかまたよき様の気色と云々」、
結願日にも、
「今日いささかよき御事と云々」。
30日、ほぼ変わらずながら、
「いささかよき分也」。

こう記す父貞成の日記からは、
 せめて気休めでも…
という想いすらうかがえる。


5月に入っても、病状は変わらなかった。

5月12日、容態はさらに悪化。
「方丈(性恵)の御式(容態)、猶ご窮屈の様たのみなし。
 祈療のほかはたのむところなし。
 祈念無極。」
この「祈療」、すなわち祈祷と治療が、しきりに行われた。
父貞成は、巷の僧や陰陽師にも祈祷を命じており、
三時智恩寺からも、新伊勢社や御香宮社に、
参拝の使者が派遣された。

15日、「いささかよき様」、
18日、「おなじ御式」。
なお、一進一退。


20日頃、貞成周辺で再び感染が相次ぐ。
新大夫、貞成の四女ちよちよ、大進局、庭田重賢が罹患。
「毎事恐怖無極」。


22日夜、
性恵は重態に陥り、
三時智恩寺からは、もしもの時のことを告げられた。
触穢を避けてのことだろう、
見舞う時はこっそりと、とのことであった。
しかし、医師は、
 まだ悪い脈が出ていないので、今夜は大丈夫だろう、
と言うので、父貞成も母幸子も見舞いには行かなかった。

だが、性恵は、
この夜は特に苦しげで、
暁になってようやく静まり、寝付いたという。

23日未明、
性恵は安居院に移された。
父貞成がこっそりと見舞うと、
辛そうな様子で寝ており、
「前後を知らず惘然の式」
すなわち、人事不省に陥っていた。
顔色は、邪気のせいか、
死相はなく、平生のとおりであった。

同日夜、父が再び見舞うと、
朝と同じ様子だったが、
いささか意識を取り戻したようであった。
目を見開き、父の姿を見、
やがてまた寝入ってしまった。


25日、
熱が下がり、性恵の容態は、やや快復。
この一事でも、父貞成は、
「心安く、喜悦」
と喜んでいる。


そして、28日早朝、
性恵の息は、徐々に細くなり、
やがて、絶えた。
享年26歳。
性恵危篤の報を聞いた母幸子らは、急ぎ駆けつけようとしたが、
臨終の際には間に合わなかった。

「老体の親に先立たるるの条、老少不定、今更驚かる」
「ただ悲歎のほか惘然のみ」

70歳の父にとって、
娘の死はどれほどの重さであったろうか。


6月5日、泉涌寺竹園院にて荼毘。


前日の27日には、
貞成の義母東御方が没したばかりであった。


〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 6』 (宮内庁書陵部 2012年)
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