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死に様データベース
《誅殺》 《1443年》 《5月》 《18日》 《享年18歳》


建仁寺霊雲庵僧。
室町幕府奉行人布施貞基の子。


建仁寺霊雲庵では、
住持の跡継ぎをめぐって、
住持と門徒との間で、激しい争いが起きていた。
嘉吉2年(1442)、
幕府は、僧録海門承朝の指示にしたがうことを命じ、
いったんは落ち着いたかに見えたが、
水面下では、なおくすぶり続けていた。


嘉吉3年(1443)5月18日暁、
門徒側の血気にはやる僧たちが、
霊雲庵に乱入、放火。
住持の同宿にも、半死半生の深手を負わせるなど、
境内を暴れ回った。
その混乱のなかで、
住持の弟子真瑤侍者も、
「矢庭に」(『康富記』)殺されてしまった。
享年18歳。
「言語道断、未聞の儀なり。」(『康富記』)


真瑤の父布施貞基と旧知の間柄であった中原康富は、
 不便(ふびん)申すばかりなし。
 しきりに悲涙を催す。
 如之何々々々。 (『康富記』)
と記している。


悪僧たちは、
所司代多賀高直の追捕の手をかわして、
逃げ散ったという。


翌6月18日には、
真瑤の弔いのため、
父貞基の同僚飯尾貞元の邸宅で、連歌会が催され、
貞基らが、
 浪にしく花は蓮のうてなかな  貞元
 むすふは玉か夏草の露     貞基 (『康富記』)
と詠んだ。


〔参考〕
『続群書類従 補遺 4 看聞御記 下』 (続群書類従完成会 1930年)
『増補史料大成 康富記 1』 (臨川書店 1965年)
『大日本古記録 建内記 6』 (岩波書店 1974年)
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