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死に様データベース
《誅殺》 《1469年》 《10月》 《17日》 《享年24歳》


従二位、権大納言。
前関白一条教房の子、兼良の孫。


応仁元年(1467)に始まった応仁・文明の乱は、
西国の大内政弘の上洛、足利義視の西軍合流を経て、
泥沼化の様相を呈していた。

連日の合戦で、京都は焦土と化し、
公家や僧侶たちは、戦乱を避けて、
所縁のある土地や所領へ下って行った。
前関白一条教房は、
いったん奈良に避けたのち、土佐へ、
その息一条政房も、
同じくいったん奈良へ下ったのち、
応仁2年(1468)11月には、
家領の摂津福原荘(兵庫荘とも)に下った。
兵庫福厳寺を住まいと定めたという。

荘内に所在した瀬戸内水運の要衝兵庫湊は、
当時、西軍の主力大内政弘勢の兵站基地となっており、
その家臣問田弘綱が守っていた。
この問田が、政房の安全を引き受けた。
政房も、問田らを信頼していたようである。


しかし、そこは戦乱のさなか。
西軍大内勢の兵站基地を抜かんとして、
文明元年(1469)10月16日、
東軍の山名是豊や赤松政則の軍勢が、兵庫を急襲。
守将問田弘綱と激突した。
初戦は大内方が優勢であったが、
山名・赤松勢の大軍が到着するにつれ、形勢は逆転していった。

そして、
翌17日未の刻(午後2時頃)、
兵庫を焼き払い、殲滅戦を敢行する山名勢や赤松・宇野・小寺・明石勢は、
福厳寺に乱入。
そこにいた政房を弑逆した。

18日、
大内方は、奈良方面に没落し、
守将問田も、いずこへ落ちていった。

軍記物『応仁記』や『応仁別記』は、以下のように描く。

 新御所様(政房)は、本領の兵庫にいる折も、
 いつものとおりのご装束にて、直衣狩衣を着し、
 それは優美なるお姿であった。
 どんな荒夷であっても、
 このような高貴なお姿を見知っておくべきだが、
 一人の武士が走ってきて、
 そんなことは思いもわかず、
 敵とみなして、長鑓を新御所の胸元へ突き通した。
 新御所は少しも姿勢を崩すことなく、
 「南無四方極楽世界阿弥陀仏」と唱えて、
 そのまま朝の露と消えた。
 孫の死を聞いた兼良はたいそう悲しみ、次の歌を詠んだ。
 
  とても死ぬる命をいかで武士の家にむまれぬ事ぞくやしき


遺体は、東光寺において荼毘にふされた。
24歳とされている。
大納言局や御所侍新次郎等、身辺の者たちが出家した。
辞世の歌があったというが、今日には伝わらない。


奈良興福寺の大乗院尋尊(兼良の子)は、
兵庫の情報が入ってきた21日以降、甥政房の身を案じていたが、
11月6日になっても確報がつかめず、
やきもきした様子を、日記『大乗院寺社雑事記』に記している。
情報が入ってきたのは、
20日以上経った、11月11日以降のことであった。
18日には、入道した御所侍新次郎が尋尊のところへ来て、
政房最期のさまを語った。
12月初旬には、土佐にいる父教房のもとへも、
息子の横死が伝わっている。

尋尊は、
保元の乱の際に、流れ矢で命を落とした藤原頼長を引き合いに出し、
次のように述べている。
「摂家においては、保元御乱に、
 宇治左府(藤原頼長)、流れ矢により薨じ給う。
 これは両帝の御競いなり。
 臣下の身、無力の事なり。
 只今の儀、一向悪党の沙汰、
 末代至極の事なり。
 かつがつ当社(春日社)大明神の神慮如何。
 但し、事の様を思案するのところ、
 公家のありさま、皆もってかくの如し。
 前後遅速の階級ばかりなり。
 命を失うべきものなり。
 歎くべし歎くべし。」 (『大乗院寺社雑事記』)



〔参考〕
『増補続史料大成(普及版) 大乗院寺社雑事記 4』 (臨川書店 2001年)
『増補続史料大成(普及版) 大乗院寺社雑事記 5』 (臨川書店 2001年)
『大日本史料 第8編之3』 (東京大学出版会 1969年)
石田晴男『応仁・文明の乱 (戦争の日本史 9)』 (吉川弘文館 2008年)
藤井崇『大内義興―西国の「覇者」の誕生 (中世武士選書)』 (戎光祥出版 2014年)
東京大学史料編纂所データベース
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