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死に様データベース
《自害》 《1503年》 《4月》 《1日》 《享年不明》


越前朝倉氏の一族。

朝倉氏は、
応仁・文明の乱で活躍した孝景に子が多く、
孝景死後は、一族の争いが絶えなかった。
特に、当主貞景と、叔父元景・その婿景豊との対立は、
年々激しさを増していた。


文亀3年(1503)4月、
朝倉氏の当主貞景は、
越前敦賀城に景豊を攻めた。

籠城する朝倉景豊は、
一族の多くが自分に味方していると思っていたが、
頼りにしていた従兄弟教景(のちの宗滴)が敵陣に寝返ったと知って、
愕然とした。
敗北を悟って、景豊は自害を決めた。

軍記物『賀越闘諍記』は、そのさまをこう描く。

 「私は、もう籠の中の鳥、網にかかった魚に等しい。
  みな、私とともに命を捨てても、無益だ。
  敵も、降服した者を斬ることもあるまい。
  みな、早く城を出たまえ。
  もし、私と志を同じくする者がいるならば、
  存分に戦って、心安く自害しよう。
  ただし、みな私より先に切腹してはならない。
  私が死んだ後、城に火を放ち、骸を火中に捨てよ。
  決してみっともない真似をして、
  後代まで人に笑われるようなことはするな。」
 と、景豊はこまごま言い置いて、
 経を読んだのち、
 庭先の木を削って、辞世の詩を書き入れた。
  二十余年の楽
  電光石火の中
  邪正何ぞ隔て有らん
  皆是本来空
 そして、十文字に腹を斬り、果てた。

20代の若者の死。
劇的演出の典型。

景豊の舅元景は、
近江より景豊の救援に向かったが、
途中で景豊の自害を聞き、空しく近江に引き返した。
これはどうやら史実らしい。



〔参考〕
『加能史料 戦国Ⅴ』 (石川県 2006)
『国史大辞典1 (あ-い)』 (吉川弘文館 1979)
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