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死に様データベース
《誅殺》 《1497年》 《正月》 《14日》 《享年不明》


北野社松梅院の院主。

松梅院は、
北野社の院家のひとつで、
室町期に、北野公文所や将軍家御師職を掌握し、
北野社の主導権を握った。
特に、禅予から3代前の院主禅能は、
4代将軍足利義持に近付き、
多くの所領や特権を得た。


禅予は、従兄弟禅親(禅能の嫡孫)の養子となったが、
禅親には実子禅椿があった。
当然の流れとして、
彼らは、北野社領や御師職をめぐって、争うこととなり、
室町幕府に訴訟が持ち込まれた。

禅予は、
管領細川政元の家臣らの支援を得て、
訴訟を有利に運んでいたらしいが、
そのさなかの明応6年(1497)正月14日夜、
北野社の境内において、何者かに殺されてしまった。
下手人はむろん、禅椿の手の者だったらしい。


中世は、裁判も命がけ。



〔参考〕
『加能史料 戦国Ⅳ』 (石川県 2004)
桜井英治『破産者たちの中世(日本史リブレット)』 (山川出版社 2005)
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