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死に様データベース
《病死》 《1365年》 《9月》 《13日》 《享年41歳》


下総守護。


南北朝内乱において、千葉氏胤は足利方に属し、
京都や関東を転戦。
観応の擾乱(足利方の内訌)でも、
はじめは直義方に属したが、
やがて尊氏方に転じた。
その功により、
累代の下総守護職に加えて、
伊賀守護職も与えられ、のち上総守護に転じている。

観応の擾乱後、
尊氏より東国支配の一端を任されたようだが、
寺社領等を押領したために、上総守護を解任されており、
尊氏の期待には応えていない。


貞治4年(1365)、
氏胤は京都にて病となり、
帰国することとなった。
その途次、9月13日、
美濃において客死。

南北朝内乱の序盤・中盤でこそ、
全国の武士の、文字通りの“東奔西走”があったが、
延文4年(1359)の東国勢の上洛を最後に、
軍勢の東西間の往来は、ほぼなくなる。
氏胤が、何しに京都に行っていたのかよくわからないが、
京都生まれであったというから、
何か特別なつながりを、ずっと持っていたのかもしれない。



〔参考〕
『大日本史料 第六編之二十七』 (1935)
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 :戦場での戦闘による落命。
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 :処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害

 :切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
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 :事故・災害等による不慮の死。
不詳

 :謎の死。
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