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死に様データベース
《病死》 《1350年》 《2月》 《22日》 《享年74歳》


正三位、権中納言。
後醍醐天皇の重臣吉田定房の弟。


吉田隆長は、鎌倉末期には、
比叡山に訴えられて、阿波に流されたこともあった。

南北朝分立後は、
兄定房と異なり、京都に残って北朝に仕えた。
定房の子宗房と、吉田家の家督を争ったこともあったらしい。


高齢のゆえか、体調を崩しがちであったらしい隆長は、
貞和5年(1349)6月、
鹿肉を食して、やや体力を取り戻した。
だが、数日後にはまた悪くなり、
食欲も減退。
息子の甘露寺藤長は、
の容態を思って、「歎息」(『園太暦』)している。

翌貞和6年(1350)2月6日、
さらに容態が悪化し、
何も食べることができず、
どうにもならないような状況に陥った。
そうして、
22日、他界。
74歳。


翌23日、
隆長の娘婿坊城俊実も、相次いで没した。
人々は、世の無常を嘆いた。



〔参考〕
『大日本史料 第六編之十三』 (1914)
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 :病気やその他体調の変化による死去。
戦死

 :戦場での戦闘による落命。
誅殺

 :処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
自害

 :切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
事故死

 :事故・災害等による不慮の死。
不詳

 :謎の死。
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