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死に様データベース
《戦死》 《1336年》 《8月》 《20日》 《享年不明》


鎌倉鶴岡八幡宮に仕える侍。
横地某の養子となっていた。


建武3年(1336)8月20日亥の刻(夜10時頃)、
悪党50人余が、鶴岡八幡宮の境内に乱入した。
神宝を強盗しようとしたらしい。
宿直の番をしていた小栗十郎は、
下宮まで出て防戦し、悪党を追い帰したが、
自身も重傷を負った。
運ばれたか、
それとも自力でたどりついたか、
上宮廻廊妻まで来たところで、絶命。

鶴岡八幡宮の史料には、
「無双高名」(『鶴岡社務記録』)
と、ある。


ひと月後の9月28日、
再び悪党が宝蔵に押し寄せ、
小栗十郎の養父横地らが、防戦して追い帰した。
悪党らは、手負いの仲間や仲間の死体を抱えて、
帰って行った。


列島各地で北朝と南朝が相争う、混乱した時代の、
都市鎌倉の様相が、窺い知れる。



〔参考〕
豊田武・岡田荘司校注『神道大系 神社編20 鶴岡』 (神道大系編纂会 1979)
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