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死に様データベース
《誅殺》 《1441年》 《2月》 《19日》 《享年不明》


地下楽人、右舞人。

嘉吉元年(1441)のとある日、
多忠右は、
「借物大法」のことで、室町幕府政所執事伊勢貞国と対立した。
その際、悪口を吐いた廉で、
将軍足利義教の命により、
2月19日、首を刎ねられた。


悪口(あっこう)は、中世においては大罪であった。
「御成敗式目」にも、
ひどい場合には流罪に処すと、記されている。

忠右の場合、
相手が悪かったのだろう。
地下楽人と幕府高官とでは、
流罪では済まされなかったのかもしれない。


なお、
忠右は、胡飲酒舞曲の相伝者であり、
その死により、天王寺の舞曲の断絶が懸念されたらしい。


話は、これだけでは収まらない。
忠右の刑死から2日後の2月21日、
忠右の妻が、自宅に火を放ち、自害した。
幸い、火はすぐに鎮火され、
周囲に広がることはなかったという。


夫の跡を追った凄絶な妻の死には違いないが、
果たして、壮絶なる夫婦愛と捉えてよいものかどうか。



〔参考〕
『図書寮叢刊 看聞日記 六』 (宮内庁書陵部、2012)
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