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死に様データベース
《病死》 《1442年》 《8月》 《4日》 《享年43歳》


前管領。
摂津・丹波・讃岐・土佐守護。


兄持元の早世により、
永享元年(1429)7月、細川持之は30歳にして家督を継ぐ。
同年10月、管領斯波義淳の辞職を受けて、
同職に就任。
将軍足利義教を支えた。

しかし、
畠山満家・斯波義淳・満済・山名時煕ら宿老たちの相次ぐ死に、
持之ら若い幕閣は、義教を抑えることができず、
その暴走を許すこととなった。
そのため、
義教による公家・武家の粛清が度重なり、
また、懸案の鎌倉公方足利持氏との武力衝突を回避できず、
最終的に、
嘉吉元年(1441)の義教自身の横死へとつながった。


管領持之は、
将軍不在の紛糾する幕府をまとめ上げ、
義教の子義勝の擁立、
義教を弑した赤松満祐の討伐まで、どうにかこぎつけた。


そうした心労からか、
翌嘉吉2年(1442)6月24日、
「風瘧の病悩」(『康富記』)により出家し、
管領職の辞表を提出。
この日は、前将軍足利義教の一周忌でもあった。

29日、管領辞職が認められ、
畠山持国が新たな管領となる。

それからわずかひと月余りのちの8月4日、
逝去。
43歳。
13歳の子勝元が跡を継いだ。


難しい時局を切り抜けた管領だが、
“名宰相”の評価は、いまのところ、ない。



〔参考〕
『増補史料大成 37 康富記 1』 (臨川書店 1965年)
森茂暁『室町幕府崩壊 将軍義教の野望と挫折 (角川選書)』 (角川学芸出版 2011年)
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