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死に様データベース
《病死》 《1225年》 《5月》 《2日》 《享年不明》


正四位下前右京権大夫藤原隆信の娘、
正二位権中納言藤原公氏の妻。

似絵の名手といわれる藤原隆信のとして生まれ、
後白河法皇の近臣藤原実綱の娘で、高倉天皇に督典侍として仕えた藤原教子の養女となった。
はじめ、土御門上皇に少将局として仕え、
承久3年(1221)、邦子内親王が後堀河天皇の准母として立后されると、その女房となった。
やがて、
藤原公氏にみそめられたのか、となってその邸宅に移る。
まだ「新妻」と呼ばれている嘉禄元年(1225)頃には、
公氏の子を身ごもっている。
経歴からして、30代半ばほどであったろうか。
なお、夫公氏はこのとき44歳。


しかし、
嘉禄元年(1225)5月2日、少将局は難産のすえ、落命。
公氏の妻妾は、これまで2人出産で命を落としており、
少将局で3人目であった。

その死去は、周囲の人々に暗い影を落とした。
夫公氏は服喪の間に病となり、
養母教子もまた病のすえ死去してしまった。


〔参考〕
『冷泉家時雨亭文庫 別巻3 翻刻 明月記 2』(朝日新聞出版 2014年)
東京大学史料編纂所データベース
石川泰水「七条院大納言に関わる若干の考証―高倉院典侍説をめぐって―」(『群馬県立女子大学 国文学研究』15、1995年)
松薗斉「中世の内侍の復元」(『中世禁裏女房の研究』思文閣出版、2018年)
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 :処刑・暗殺等、戦場外での他殺。
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 :切腹・入水等、戦場内外での自死全般。
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